2015年02月15日(日) 「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにで きようか」伝道7:13
「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにで きようか」伝道7:13
信仰生活の中で、経験するだろうか。すべての環境は主から来てい るのだが、その状況が、自分の思い通りでないので、受け入れられ ない。そのため、状況を変えよう、変えようとする。不満で仕方が ない。自分の思い通りにしたいばかりだ。状況を変えよう、相手を 変えようと、悪戦苦闘する。 どんなに苦闘しても、全く何も変わらないことを見い出す。疲れ果 ててしまうばかりの、不毛の戦いをする。変えようとするが、何一 つ変わらず、ギブアップして、主の御前に静まる。そして、祈りに 持って行った時に、「神が曲げたもの」だと言われる。「これはわ たしが曲げている」との御声を聞く。それを自分で懸命にまっすぐ にしようと、何とかしようと走り回っていた事に気づく。 ある人が子供の難病を、どうしても受け入れられなかった。なぜ? どうして自分の子が?と涙は溢れ、グルグル思いは回り、苦しく、 つぶやき、心は辛くてたまらなかった。神に対して反抗的になって いる自分がいた。同年齢の子供を見れば涙が出た。悶々の心は苦し くてたまらず、とうとう限界に達した。 もう行き詰まり、煮詰まり、ギブアップした。自分自身も子供も将 来も、不安も恐れも何もかもを、主に明け渡した。その時、状況は 全く変わらないのに、心に初めて深い安堵と平安が臨んだ。自由に された。委ねられないで握っているなら、その事を主に告げて、あ りのままの心を祈ろう。明け渡して行く時に、心がまっすぐにされ る。 ・・・・・・・・・・・・ 主が曲げておられるものを、まっすぐにしようと、不毛の戦いをし ていないだろうか。思い当たる事があるだろうか。祈りの方向変換 をし、受け入れられるように求めよう。受け入れる事ができる時、 曲がったままで、心は平安と安堵に満たされる。