2015年04月17日(金)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる」詩篇46:10



「主は」戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火
で焼かれた。そして「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と。
「主の主権を認めよ」「力を捨てよ」「静まって」主がもたらされ
た勝利を、敗北した敵の姿、その様子、主の戦勝の品々を見よと告
げられている。

そして、「主が」戦われ、「主が」勝利をおさめられたという事実
を。「やめよ」とは、人間の力による、人間的な知恵、方法による
肉の様々な、はかり事をやめよということだ。肉の方法と力で戦う
のではなく、その肉に、自分に死んで、御霊に支配されて、御霊の
導きに従って行くのが信仰生活だ。

「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神はこれを助け
られる」神は都の真ん中に臨在され、その都はゆるがない。神は私
のただ中に臨在されるので、私は何があっても揺るがない。不安で
たまらない事柄や思い煩う事態、恐れに襲われる事、様々な事態が
生じるが、その時こそが「わたしこそ神であることを知」れる時だ。

「やめよ」肉であれこれ動く事をやめよ。思い煩いをやめよ。心を
騒がすことをやめよ。それらを止めて、神に祈り、神を信じよう。
「神はわれらの避け所、力、そこにある助け」だ。今まで、必ず折
りにかなった助けがあり、幾度もみわざを見た。今、神の御前に静
まろう。神との交わりのために時間を取り、耳を澄まして、御声を
待ち望もう。神が動かれる。
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神の力強い御言葉と御約束だけが、この目に見える状況にも揺るが
ない錨だ。何とかしなければならないと恐れは常に来るが、振り返
り、主の勝利を思い起こしてみよう。今一度、御言葉に立とう。