2015年07月17日(金)

「さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるパ リサイ人の国の道には導かれなかった」出エジプト13:17


エジプトを出る時に、神は民に、近道であるペリシテ人の国には
行かせず、「荒野の道」へ向かわせられた。「民が戦いを見て、心
が変わりエジプトに引き返すといけない」からであり、そこに神の
配慮があった。長年の奴隷生活にあって、戦いの訓練など全く無い
民が、ペリシテとの戦いが恐怖で引き返してしまうだろう。

私たちの価値観の中に、楽な道、問題の無い道を好み、近道、早く
到達する事、順調が善との思いがないだろうか。しんどい事、困難
な事は出来れば避けて通りたい。しかし、神は近道ではなく、あえ
て荒野の道を通される。神が困難な道を通されるのだ。

神に不可能はなく、今すぐに、願っているものを与えて下されば良
いのに、延々時間がかかり、まさに遠回りさせられていると感じる
状況がある。自分の思いやプランと全く違う道を歩ませられる。し
かし、そこを通ってこそ、忍耐や信仰が培われ、神のご愛や真実を
経験する。

そこを通る事がどうしても必要であったと後にわかる。又、訓練の
中で、明け渡す事をさせて下さる。そこを通らずしてあり得ない。
そしてその通り道には、雲の柱火の柱が伴い、行くべき道が示され
る。荒野での灼熱の太陽から雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の柱が
照らした。道中決して「民の前から離れなかった」。

今、荒野なら苦しい中も神を信じ、従って歩もう。状況でなく、神
視点で見られるよう祈ろう。主は片時も離れず共におられ、行く道
の一歩一歩を手を取って導いて下さる。

・・・・・・・・・・・
神に不可能はなく、今すぐにでも願いを叶えて下さる事ができる。
しかし、あえて荒野を通される。思い通りにならない道で、信仰が
試され練られ、忍耐が培われ、成長が与えられる。その中で「イン
マヌエル」いつも共におられる主を実際に経験して行く。