2015年08月18日(火)

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます・・私の道をこと ごとく知っておられます」詩篇139:1

 

対人関係では、人が相手なので、どうしても様々な行き違いが起こ
る。それぞれが感情や気持ちを持っているからだ。時に、傷つけた
り、又、傷つけられたりする。特に、傷つけられると、赦すことが
難しい。心は乱れ、悶々状態になる。赦すには赦すが、もう決して
関わりたくない、となったりする。

そんな時、人に聞いてもらい同情して欲しい。こんなに自分は被害
者なのだと、どんなに苦しく辛いかをわかって欲しい。しかし、本
当の心の底はどうだろう。自分は悪くない、自分は正しい、この問
題の原因は自分にはない。つまり悪いのは相手であり、それをわか
って欲しい、同意して欲しい。

そんな古い自分が根深くある。そうであるなら、周囲の御心に沿っ
たアドバイスや、提示してくれる御言葉は、全く入らない。聞きた
くないからだ。求めているのは、自分を正当化してくれる言葉だけ
になる。しかし平安は無く、心は辛く苦しい。仕事をしていても、
家事や勉強をしていても、心は苦しくてたまらない。

平安が無いからには、相手の問題でなく、何か主と自分の間がギク
シャクしている事になる。人は全く関係なく、主と自分の関係がう
まく行っていれば、平安だからだ。まず主に心を向け祈ろう。気持
ちを告げて行こう。何が問題なのかを、御霊は教えて下さる。私た
ちの心の内をご存じだ。矯正し、御心へと導いて下さる。従って行
く時、自分が変えられる。喜びと平安が戻る。

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心が重く平安が無いなら、自分の問題だ。何か自分に問題がある。
主と自分の間に、平安が無いということだ。主との間が正しければ、
何があっても平安だ。人を責めても何の解決も無い。主に向いて、
告げ、取り扱っていただこう。何が問題かを示し、平安へと導いて
下さる。