2015年10月18日(日)

「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれ る人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて下りて 行くのです」ヨハネ5:7



病気の人に「よくなりたいか」と聞いたなら、どうだろう。よくな
りたいのは、当たり前ではないかと返されそうだ。なぜ主は、彼に
このような質問をされたのだろう。「よくなりたいか」という事は、
今、よくない、病気だという事だ。その人の現状に、面と向き合わ
させ、自分の真の願いを確認させるためだった。

「よくなることができるか」とは問うておられない。あくまでも
「よくなりたいか」であり、「そうしたいか」という意志が問われ
ている。問われた時、初めて人は自分の心に向き、探られる。「よ
くなりたいか」の問いなので、答えは「はい、よくなりたい」か、
「いいえ、よくなりたくない」のどちらかだ。

しかし彼の応答はどちらでも無く、「自分には介助者がいないから
だめだ。介助者のいる者が先に降りて行く。だから自分はどうにも
ならない」だった。人のせいにし、環境のせいにして、言い訳をし
て、自分に、問題に向き合う事をしなかった。私たちも問題が起き
た時に、自分の真の状態に向き合う事をせず、言い訳ばかりだろう
か。人のせい、環境のせいにして逃げているだろうか。

しかし主は、本当に直りたいのかと問われる。主には直す事ができ
る。彼は「起きて歩け」の言葉に従った。すると、奇跡が起きた。
主は彼の内にあった信仰を引き出された。今、あなたはどうだろう。
主の言葉に向き合おう。

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現状に、自分の弱さに向き合うのは痛いので、言い訳して、逃げて
しまう。しかし、向き合って行く時に、主が働かれ、みわざを経験
する。まず「よくなりたいか」と問われる主に、御霊に心の内を探
ってもらい、向き合って行こう。