2016年08月18日(木)

「それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ」T列王17:5



エリヤは、主の命令により、アハブ王に、主が雨を止められる事を
告げた。即、打ち首になるかも知れず、信仰と勇気の要ったことだ
ろう。主に従った後、次に主はエリヤに「ケリテ川のほとに身を隠
せ」と命じられた。そこで主が烏に命じて養うと。アハブからかく
まうためだった。

そこで彼は「主のことばの通りにした」。エリヤは、ケリテ川のほ
とりに逃れた。一歩一歩を、自分の思いでなく、主の言葉通りに従
った。しかし、烏が養うなどと、そんな事があり得るのだろうか。
ゴミを狙い、食物を貪る貪欲な烏が、食物など運んで来るのか。し
かしそれは、主の主権のもと、主がエリヤを養うとの意味だった。

雨が降らず、どんどん枯れて行くケリテ川で、自分には何もどうに
も出来ない。出来る事は何もない。エリヤは自分の全面無力を知り、
神ご自身にすがり頼る信仰の訓練とされた。川の水も干上がって来
て、どんなに不安な事だろう。又、「ケリテ川のほとり」と特定さ
れていて、他へ勝手に移動する事もできない。水はかれて来た。こ
のままでは死だ。

しかし、エリヤは自分で動かず、主の次の言葉を待った。「すると、
彼に次のような主のことばがあった。シドンのツァレハテに行き・
・」ケリテ川がかれると、次の導きが臨んだ。必ず主の導きが来る。
「主のことばがあった」「主のことばの通りにした」。まず、主の
ことばに耳を澄まそう。そして示しが来たなら、行って、主のこと
ばのとおりにしよう。
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無力を知らされる状況の中は、真実な主を知る経験で、決してひと
りではないことを学ぶ。一歩一歩と導かれ次の展開を与えられる。
従って行こう。ケリテ川の経験は必ず祝福だ。