2016年11月17日(木)

「主はこの卑しいはしために、目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう」ルカ1:48



ある時、突然、御使いがマリヤのいる部屋に入って来て、「おめで
とう。恵まれた方、主があなたとともにおられます」と言った。マ
リヤはこの言葉に、「ひどくとまどって」とあり、何の挨拶かと考
え込んだ。マリヤは「この言葉に」とまどったと。「おめでとう。
恵まれた方」なぜ自分に?どういう意味なのか?と。

神の民であるマリヤは、小さな時から、御言葉をよく教え込まれ、
学んでいたので、御使いのことを知り、メシヤが来る事も知ってい
ただろう。続けて、御使いは、マリヤがみごもって男児を産むこと、
名をイエスとつけるよう、その子はダビデの王位が与えられると。
そこでマリヤは率直な思いを告げる。

どうしてそんな事があり得るのか、男の人を知らないのにと。する
と、聖霊によるとの答え。聖霊が臨み、いと高き方の力がおおうと。
エリサベツにも奇跡が起きていて、神に不可能はないと説明される。
マリヤの率直な思い、素直な言葉に、答えられて行く。その結果、
マリヤは自分を明け渡して行く、「おことばどおりこの身になりま
すように」と自分を献げる。

マリヤは、拒む事も受け入れる事もできた。ヨセフはどうなるのか、
婚約は壊れるだろう。周囲の目は?姦淫は死刑だ。が、彼女は受け
入れた。マリヤの信仰だった。主に用いられる事を選び取った。
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神の約束と大きく異なる現実にぶつかると私達も恐れや不安で、ひ
どく戸惑う。けれどマリアは現実よりも確かな「おめでとう。恵ま
れた方」の御約束を信じ歩んだ。主が守り用いてくださる。