2017年02月15日(水)

「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる」箴言12:15



御言葉は「もし、誰かが過ちに陥ったなら、その人を正してあげな
さい」と言う。その場合「柔和な心で」と。往々にして、すぐに肉
が反応してしまい、腹を立てて、正そうとしてしまう。その肉を正
義感と思ってしまう。または、密かに自分の方がましと、高ぶり、
心の中で裁くだけかも知れない。そして、他の箇所によると、その
人のところへ行って「ふたりだけのところで、責めなさい」と。

責めるとは過ちを示すことだ。それは「兄弟を得るため」と。兄弟
の回復のためで、裁くためでなく、建て上げるためと。「御霊の人
であるあなたがたは」とあり、人を正す時は、御霊に導かれる事が
大切だ。自分も過ちを犯す者である事を覚え、へりくだって、愛を
持っての対応せよと。

盲目的な愛は、単なる甘やかしになってしまう。「愛をもって真理
を語り」御霊の愛によって、はっきりと語るべき事を語り、御霊に
導かれる事が大事だ。ある人が、主に在る友に、間違っている事を
忠告するよう、御霊に示された。相手にとって急所で、突かれたく
ない最も痛い所だ。

言うと関係が終わってしまうのではと思うが、幾ら祈っても御霊の
示しは変わらない。御霊に押し出され、愛をもってはっきりと語っ
た。思った通り、相手は激怒した。しかし相手はずっとその事を考
え、悔い改めに導かれた。そして忠告を心から感謝して来た。御霊
の示しがあるなら、従おう。
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御霊の示しがあるなら愛する兄弟姉妹のための忠告は義務ではない
だろうか。肉のあらゆる思いを吟味し捨てて主と共に果たそう。祈
りを重ねて語られる忠告は受ける方にも宝として受け取りたい。