2018年01月18日(木)

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい」ピリピ2:14



神はみこころのままに、私たちの内に働いて志を与えられる。そし
て、神が事を行なわせて下さるとある。神が思いを与え、神が成し
遂げて下さる。だが、そのみこころを実際に行なおうとする時に、
つぶやきや疑いが出て来る。あなたも経験あるだろうか。「ああで
もない〜、こうでもない〜」「ああすれば、ああなり〜、こうすれ
ば、こうなり〜」あれこれ〃考えてしまう。

自分の立場を考えると、人にどう思われるか、変に思われないか気
になって仕方がない。又、払う犠牲に、時間に、労力を考えると、
ちゅうちょし、及び腰になってしまう。いのちの言葉をしっかり握
って、彼らの間で世の光として輝く、とあるようにいのちの言葉を
しっかり握る事が大切だ。

「世の価値観や常識、自分の思い、経験値」を握っていたなら、主
に従うことができない。この先もずっと従えない。肉の価値観が妨
げる。そして、ああでもない、こうでもないと、思い巡らしている
内に、サタンが「しなくてもいい」と吹き込む。ぐずぐずしている
間に、気力に攻撃が来て、気力がなえてしまい、御心が行なえなく
なる。その背後に敵の妨害、サタンの惑わしがある。

みこころに歩ませないよう、サタンは絶えず攻撃して来ている。振
り返る時、どうだろう。思い当たるだろうか。ぐずぐずして、失敗
しただろうか。「私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守り
ました」の通り、御言葉をしっかり握る時に、「急いで、ためらわ
ず」行なうことができる。
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志が与えられても、ぶつぶつと自分の中で考え、それで終わってし
まう。そんなことは無いだろうか。志とつぶやきはいつも同時に来
る。従いますの心でつぶやきを捨てよう。信じて従い輝いていよう。