2018年02月15日(木)

「とすれば、なおさらのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者に良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11


願いが叶えられないと思っているだろうか。だが「あなたがたのも
のにならないのは、あなたがたが願わないからです」とある。願え
と言われる。「求めなさい。そうすれば与えられます」と。神は求
めに答えて下さるお方だ。だから、私たちは求める必要がある。し
かし、神は私たちが求めたものを、その通りに与えられるとは限ら
ない。

小さな子供に、配慮無く高価な物を与えたりしない。それにふさわ
しい年代に、時期に高価な物を与える。親は、子供の事を考え、教
育的配慮もし、子供にとっての最善を考えて与える。天の御父も同
様だ。「どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがあ
りましょう」と、願った通りのものでないかも知れないが「良いも
の」を与えて下さる。「良いもの」だ。

神は私たちよりも、私たちにとって、何が良いのかを知っておられ
る。そのため、祈った結果、来たものをことごとく感謝することが
祝福だ。神が下さるものは、常に「良いもの」だからだ。「求めな
さい」には、「求め続けよ」の意味がある。すぐに答えが無いから
と諦めないで、祈り続けよう。忍耐持って祈る中で、祈りを助けて、
御心にかなった祈りへと導かれる。

動機を探られ、「自分の快楽のために使おうと悪い動機」なら、そ
れを示し、祈りを軌道修正される。実際、私たちは何が自分に最善
であるのかを知らない。御霊は、御心にかなった祈りへと導かれる。
そして御心に適った祈りは、すでにかなえられた事になる。
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何でも諦めずに祈ろう。祈りの中で本当の自分を示され、動機を識
別させられる。答えられた祈りによって更に聖くあわれみ深い御神
に触れ、どれ程愛されているかを知る。