2018年04月17日(火)

「シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く」・・彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった」ヨハネ21:3


人は、本当の自分の姿にきちんと向き合わない限り、自分が変わる
事はないと言われている。見たくなくて、目をそらしたり、逃げた
りするなら、何一つ変わらない。岸辺で「食べる物がありませんね」
という声がした時に、弟子たちは「はい、ありません」と現実を認
めた。

プロの漁師であったペテロ達が、ガリラヤに戻った時、何もなすす
べなく、再び網を取り、以前にしていた漁をした。ベテラン漁師で
あったにかかわらず、一匹もとれなかった。収穫ゼロだった。主を
裏切ったペテロは心に深い痛手を負い、これなら出来ると唯一自信
のある漁をするが、全くとれない。挫折感、屈辱感、空虚感はいか
ばかりだったろう。

ありのままの無力を認めた時、「舟の右側に網をおろしなさい」と
声が聞こえて来た。何だかわからないが、その声に従い、網をおろ
すと、何と驚くべき大漁だった。網を引き上げられないほどの、お
びただしい魚だった。ヨハネが以前の光景と全く同じである事に、
主だと直感した。「主です」の声に、ペテロは湖に飛び込み、主の
もとへ行った。

陸地に上がった時、炭火があり、魚とパンがあった。それを見た時、
ペテロは、主を裏切った時の、あの炭火が脳裏に浮かんだだろう。
主は、ペテロに三度「わたしを愛しますか」と問われた。「私の心
を見て下さい、主はすべてご存じです」と答えた。砕かれたペテロ
がそこにいた。主の愛はそのペテロを見事に回復させた。
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無力を認めたら最後立ちあがれないこの世の絶望とは違う。無力を
認めた先に、主の栄光を拝するチャンスが備えられている。何とい
う救いだろう。この世にいる限り何度でもやり直せる。いつも支え
られている。主を賛美したい。