2018年06月17日(日) 「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないから だ」エレミヤ31:34
「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないから だ」エレミヤ31:34
あなたも失敗した事があるだろうか。ある人が大失敗をしてしまっ た。軽率な言動、行動に、後悔しても、しきれなかった。自分とし たことが、よく考えもせず、何と愚かな事をしてしまったのか。取 り返しがつかない。しかし御霊に示された。紛れもなく、それが自 分なのだと。 本来の自分でないと思いたいが、認めたくないが、自分はそのよう な愚かな者なのだと。高慢を砕かれた。主を見上げる事なく、肉で 歩むと、欲望のままに歩んでしまう。自分がいかに罪深い者である かを知らされ、心砕かれた。主の十字架がまさに自分のためだと思 い知らされた。 それまで罪人と言われてもよくわからなかった。法に触れてもいな いし、大罪を犯したわけではない。真面目に生きて来た。しかし自 分が罪を好み、自然にしていれば罪を犯し、又、罪を犯しても、そ れも認識できず、平然としている罪深さを知らされた。辛い所を通 ったが、初めて主の十字架が、誰のためでもなく、自分のためであ る実感が臨んだ。身にしみて、感謝が溢れた。 人前にも、隠しようのない失態であった事も益とされた。人に知ら れた事によってプライドは砕かれ、へりくだらされた。もし、人目 に隠しおおせたなら、懲りずにいたに違いない。バレさえしなけれ ば問題無いと、どんなに罪深い者であるかを、御霊は教えて下さる。 主のご愛と真実だ。罪を認めて、悔い改めるならきれいに赦される。 何という恵みだろう。悔い改めて、悔い改めて、歩む時に、主の恵 みがどんなに大きいかを知って行く。赦されて、赦されて、歩む事 を通して、主の愛を頭ではなく、御霊によって知って行く。 ・・・・・・・・・・ 悔い改めた罪は、二度と思い出さないと言われる。記憶にはしっか り残っているので「あの時のあの罪が・・」と言うと、主は「それは 何の事か。わたしは知らない」と言われる。悔い改める度に、主の 愛の大きさ深さを知って行く。罪赦されるとは何という恵みだろう。