2018年07月18日(水)

「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです・・私を迎えるように彼を迎えてやってください」ピレモン16




ローマで獄中にあったパウロが、オネシモの事で、ピレモンに宛て
た書簡だ。オネシモは、主人ピレモンの奴隷であったが、主人のも
とで盗みを働き逃亡した。ローマにまで逃げたが、捕らえられて投
獄の身となった。だが、そこでパウロに出会い、回心した。信仰者
になったオネシモは、獄中でパウロに仕えていた。

パウロは「獄中で生んだ我が子オネシモ」と言っている。そして今
やオネシモは変えられて、以前は役に立たなかったが、「役に立つ
者」だと。彼の悔い改めが本物であったようだ。しかしピレモンの
奴隷なので、パウロはオネシモをピレモンのもとへ送り返したいと
思っていた。

そこでパウロはピレモンに、オネシモを赦して、受け入れてくれる
よう執り成している。弁償はすべて自分がするからと。奴隷である
オネシモは取り返しのつかない罪を犯してしまった。本来なら逃亡
奴隷は死罪だ。しかし神の側から見ると、神視点に立つと、全く違
う見方になる。そこに神の摂理があって「しばらくの間あなたから
離されたのは、あなたが彼を永久に取り戻すため」となる。

何という赦しとあわれみだろう。何と希望があることだろう。どん
な人生も、愛なる主のもとでは、人生が全く変わったものとなって
しまう。人の失望の時は、神のご計画の時と言われているが、すべ
てが主の御手の中で益と変えられ、栄光と導かれて行く。主のあわ
れみは尽きない。
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どこまでも愛と赦しの中で生きる者に変えられた。その恵みを覚え
留まることで対人関係もがらりと変わるのではないか。赦されたの
だから赦そう。主の愛に押し出され歩もう。