2018年10月17日(水)

「しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」ヨハネ9:41




見えないものを見るために、重要な事は何だろう。まず光が必要で、
光が無ければ絶対に見えない。真っ暗闇では、何も見えない。そし
て自分が盲目である事を知らなければ、決して見えるようにならな
い。自分が見えていると思っている限り、ずっとそのままだ。

では、見えるようになるためには、どうすればよいのか。自分が見
えていないと認めることだ。その時、主が、見えるようにして下さ
る。パリサイ人たちは自分は見えていると言い張った。しかし人間
の教えを、教えるだけで、神の言葉が何も見えていない。盲目であ
るのに、見えていると言う。

見えていないと気づくなら、救いがあるが、見えていると言い張る
ところに罪が残ると主は言われた。人は、自分が正しいと思い込む
と見えなくなる。物理的には見えていても、霊的盲目状態だ。祭司
長やパリサイ人たちは、自分たちは神の戒めを守り、神に従ってい
ると思い込んでいた。旧約聖書の学者であり聖書に精通していた。

それが、神が遣わされた御子イエスを認めず、殺そうとした。実際
十字架へと追い込んで行った。自分を正しいとする時、何も見えな
くなる。私たちも同様だ。神によらなければ、何一つできない盲目
の者と知る事が、見えるようになる事だ。自分が見えていない者で
あることを知る事は、大きな祝福だ。そこから始まる。主が霊の目
を開いて行って下さる。
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見えると思っている事が視野を狭くさせ主からの豊かな恵みを遮断
させていると覚えたい。見えてないことを認めよう。いつも主に求
め、変わり続けよう。主が成長させてくださる。