2019年02月15日(金) 「・・だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13
「・・だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13
人を赦すことは祈りの課題であり、難しい。自分を傷つけた相手を 赦せない。だが、ある人が「相手を赦さないなら、その相手から何 かを求め続けているのであって、その人に永久に縛られてしまう」 と言ったが、赦さない事は、結局は相手に求める事になり、生涯、 その相手に自分の人生のコントロールを許す事だ。 相手を憎むなら憎しみの奴隷となり、結局、相手に拘束され続ける 事になる。それも四六時中。どんなに楽しい時にも、ふっと暗い影 がよぎる。苦しむのは相手ではなく自分だ。憎み続ける事は、心が どんなに辛く苦しい事だろう。一人相撲であり真っ暗闇の中だ。 「赦しなさい」は、主の御心に従う事であり、結果的に自分も縄目 を解き、自身を牢獄から出して解放する事になる。 赦さない心は、自分をがんじがらめにする。ある人が、他人にコン トロールされる一生は嫌で、拒否したい。心底自由になりたいと願 い、主に従い、赦す決意をした。御前に祈り、赦しを意志で選択し た。今、憎んでいる人、赦せない人、傷つけられた相手・・具体的 に名を挙げ「赦します」と祈った。その時「赦しなさい。そうすれ ば、自分も赦されます」を、身をもって体験した。 人を赦す事によって、自分自身が、神から赦されていること、受け 入れられていること、深く慈しまれ、愛されていることを知る事に なる。大きな平安に包まれた。人を赦すからこそ、自分が赦されて いる事を知る瞬間であった。人を赦さないなら、自分が赦されてい ることが、どうしてわかるだろう。赦せるよう祈ろう。主は助けて、 みわざをして下さる。 ---------------------- 自分には出来ないように思えても主が助けてくださる。主はどれ程 の罪を赦してくださっているだろう。相手のした悪を数えず、主に 委ねよう。主が解放してくださる。