2019年05月18日(土)

「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにし てはならない」ヘブル4:7


イスラエルは、主が乳と蜜の地カナンに導くと約束して下さったの
に、入る事が出来なかった。不信仰のゆえだった。導き入れるとの、
主の言葉を聞きながら、信じる事なく、心を頑なにした。「もし御
声を聞くならば・・心を頑なにしてはならない」のように、御声を聞
くなら信仰もって、受け入れる必要がある。

語られた御言葉をないがしろにしてしまうなら、自分の心は固く
なり、ますます頑なになって行ってしまう。私たちはどのように聞
いているだろう。主が御言葉を語られた時も、聞く人の心の態度は
様々であった。素直に受け入れる人、単なる好奇心だけの人、反発
する人、傍観者として聞き流す人・・。

又、石地のように、喜んで聞くが、自我にぶつかると、自分の思い
のほうを通して行くだろうか。そんな心が耕される必要がある。頑
なな心が砕かれる時、素直にされる。砕きは祝福だ。御声を聞く時、
主の言葉を、その通りにそのまま受け止め、信じて行く事が信仰だ。
この世は、目に見えるもの、手でつかむ事のできるものを確かなも
のとする。私たちは、目に見えないが、御言葉を真実なもの、確か
なものとする。

そして、その語られた御言葉を、行なってゆくことが大切だ。実行
して行く時に、初めて御言葉が身につき、そして必ず豊かな実を結
んで行く。私たちはどうだろう。ただ聞いて通り過ぎているだけだ
ろうか。心して受け止め、今、目の前の御声に一歩従おう。

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御言葉は素晴らしいが、その御言葉の受け取り方が大切だ。受け取
り方で、天と地ほどに違ってしまう。心が固いと聞いても、遮断し
てしまうので、聞かなかった事と同じになる。聞く態度を御霊に探
って頂き、素直に聞けるよう祈ろう。豊かな実を結べるように。