2019年08月17日(土)

「すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨ ハネ5:9主は、


38年間、伏せっていた男性を見られた。「イエスは・・見」、主の方
から、目を留め、語りかけられた。「よくなりたいか」と。一見不
思議な言葉に思える。病人が良くなりたいのは当り前ではないのか。
ところが彼は、率直に「よくなりたいです」と答えたのではなく、
介助者がいないからだめだと言った。

自分には助け手がいないから、ずっとこのままだと。確かに、彼に
は助けてくれる人がいなかった。孤独な寂しい人生だったろう。彼
の過去も、失望も、嘆きも、心の内の何もかもをご存じで、主は御
声をかけられた。そして「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と
命じられた。

助けてくれる人がいないせいで、自分はこんな状態だと、38年間、
自分はかわいそうと、自己憐憫の中にいると、そこは楽で居心地良
くなって来る。そのような床を捨てて、起き上がって歩み出せと言
われた。「よくなりたいか」の主の言葉は、彼の現実を見せられた。
「よくなりたいか」とは、現在よくないという事だ。「起きて、床
を取り上げて歩け」この言葉を信じて、起きようとしない限り、癒
しはない。

彼は、主の言葉にすがったからこそ、起き上がろうとした。すると、
主から力が臨み、起きて歩いた。はなから信じなければ、起き上が
ろうとはしない。私たちにも、「イエスは・・見」と、主のまなざし
が注がれている。すべてをご存じで、「よくなりたいか」と御声が
かけられている。自分が依存している、取り上げるべき「床」は何
だろう。

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余りにも長年の事で諦めてしまっている、「床」が自分にもあるだ
ろうか。何度やってもだめだった。どうせだめだろう。しかし主に
は癒す力があり、変える力がある。自分には出来ないが、主には出
来る。御声を聞いたなら、床を取り上げ、一歩従おう。