2020年04月17日(金)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」マタイ5:10



信仰者は、信仰ゆえの苦しみ、迫害や試練があると、御言葉は言っ
ている。だが間違ってはならないのは、自分の弱さ、至らなさ、欠
点、自分の罪ゆえ問題を起こし、苦しみを招く事がある。これは自
分の問題であり、信仰ゆえの苦しみではない。信仰以前の問題だ。
弱さや至らなさがあるなら周囲に迷惑をかける。

それではなく、クリスチャンという事で苦しみを受ける事がある。
迫害されたり、笑われ、嘲られたり、仲間はずれにされたりと、不
当な苦しみを受ける。「そしりと苦しみを受け、捕らえられ、財産
が奪われ」・・今の時代なら、信仰ゆえに陰口を言われ、辛く当た
られ、仲間はずれにされ、だろうか。「ありもしないことで悪口を
言われ」る、それは理不尽な苦しみだ。

しかしそれがキリストゆえの苦しみなら、恥じる事はない。むしろ
この事のゆえに喜べと、幸いだと。そして神をあがめるようにと。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてうける報いは大きい
のだから」と。その人は、たとえ主のために辱めを受け、攻撃され
たとしても、主との個人的な関係があるので、幸せな人だ。苦しみ
の中にあっても喜びおどる人々だ。内なる喜びが与えられているか
らだ。

どんなに自分が罪深いかを知り、そしてその罪が完全に赦されてい
る事を知っている。どんな愛で愛されているかを知っている。どん
なに苦しい時にも、主が共におられることを知っている。そして天
において大きな報いがあり、その報いを期待せよと。それゆえ苦難
に意気消沈するのでなく、「喜び、喜びおどれ」と。
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主を喜ぶ事は大きな力だ。世の人々と主を知る喜びを共有できない
事は辛く悲しいがその思いもまた主が知っておられる。どんな場面
にも恵みを見出し喜び感謝を表していこう。