2020年05月18日(月)

「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20


ある人が、重要な仕事が壁にぶち当たり、行き詰まってしまった。
どうしてよいかもわからず、すべも無く、心は重苦しく、沈んでい
た。しかし「何で?どうしてこうなる?」主は、祈りに答えて下さ
るのではないのか。その日、余りの重圧に牧師を訪ね、牧師に話し
祈ってもらう中で、「八方ふさがりで、どうにもならない。祈る気
になれない。心が重い」と言った。

すると牧師が「こんな賛美があるよ。“望みも消えゆくまでに、世
の嵐に悩む時、数えてみよ、主の恵み、なが心は安きをえん”と。
恵みを数えてみない?」と。全くそんな気分でない。気持ちも乗ら
ない。が、牧師に言われ、促されるまま、一つ一つと思いつくまま
に数えた。今、健康なので感謝します。空気も、水も、住まい、食
物も与えられていて感謝です。救われている事に感謝です。

主の十字架に感謝します。家族、友人がいる事に感謝、仕事も感謝
です・・一つ一つを最初は気持ちも全く伴わず、機械的にだが、感
謝して行った時に不思議が起きた。不満、愚痴で一杯で、うっとう
しく、沈み込み、暗かった心が、何だか知らないが少しづつ軽くな
って行ったのだ。不思議だった。

頭をどんよりおおっていた、雲霧が晴れて行くような感じだった。
与えられているものが、当然としか思っておらず、当たり前なので、
感謝も、感動も何も無い事に気づかされた。何より、見える所に目
が奪われていて、主に、目が行っていなかった。すべての事は当然
で無く、主の恵みによる事だと見せられ、主に焦点が合うと、不思
議に「大丈夫だ」と思えた。

主は、愛し、慈しんでいて下さる。ご計画があり、良くして下さる。
そこに焦点が合って行くと、心が平安に変えられた。自分視点だっ
たのが、感謝して行く時、神視点に変わる。すると心が変えられる。
一歩従うことは、大きな祝福へと繋がる。
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問題が解決したら感謝できるのにと思ってしまうが、いつでも、す
べてのことについてだ。感謝を数えていこう。すでに身に余る程の
恵みが手の中にあることに主は気づかせてくださる。