2020年06月17日(水)

「呪法師たちはパロに、『これは神の指です』と言った。しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった」出エジプト8:19



モーセが民を率いて、出エジプトの際に、次々と奇跡のわざがなさ
れた。ナイルが血に変わり、かえるが全土に満ちた。呪法師たちも
同じことをした。サタンも万能ではないが、奇跡を行なう。同じ事
をした。だが、地のちりが全土で、ぶよとなった。そして呪法師も
同じ事をしようと、秘術を使ったが出来なかった。ぶよは人や獣に
ついた。

そこで呪法師たちは言った「これは神の指です」と。どうしてもで
きず、これは神であるとわかった。しかし神のわざだと理解したか
らといって信じるわけではない。パロも、ますます心を頑なにした。
彼らの言う事を聞き入れなかった。次に、あぶが全土に満ち、地は
荒れ果てた。追い詰められたパロは、民を出て行かせると言った。
しかし「決して遠くに行ってはならない」と。

サタンは、私たちにも「遠くに行ってはならない」と言う。信仰は
そこそこでよい。すべてを献げるなど行き過ぎだ。罪から全面的に
離れるなど、出来っこない。肉から、罪から離れさせたくない。成
長させたくない。遠くへは行くな。ある程度でよい。今も誘惑が来
ているだろうか。神は「わたしが主であることを知るようになる」
との目的をもって十の災害を下された。

しかしパロはみわざを見るが、神を拒み、その結果ますます強情に
なり、頑なになって行った。主を拒んでゆくと、そのままではなく、
更に心が固くなってしまう。私たちはパロのようでなく、苦しい試
練の中で、心を頑なにするのでなく、受け止める時、神が主である
ことを知る事ができる。そしてその主を認め、ますます主を知り、
成長して行ける。 
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自分しか見ていない心の高ぶりが、試練を拒み、試練を通して与え
られる本当の神の恵みを見えなくしている。自分では何も出来ない
と主に頼ろう。身を低くして主と共に試練をぬけよう。