2020年08月18日(火) 「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあず からせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10
「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあず からせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10
試練は嬉しいものではない。悲しく、痛いし、苦しい。対人関係で の様々な悩み、経済的苦境に陥るし、病気になり、けがもする。 辛さゆえに、「なぜ自分が?」と思う事だろう。でも、いつも言わ れるように「問題が問題なのでなく、問題に対する私達の態度が問 題」だ。試練に対する態度が問題であり、大切な事だ。 一つはネガティブにに取る。「なぜ、自分ばかりが」「他の人々は 幸せそうなのに」、反抗的になり、心を鬱屈させて、自分の殻にこ もる。ますます心が頑なになってしまう。次に、諦めの態度になる 事がある。主に向いて祈り、求めるのでなく、感情も押し殺し、ひ たすらうずくまるばかりだ。これらから言える事は、そこに何の実 もない。ますます落ち込んでしまう。 別の対応がある。試練を真正面から受け止める道だ。主がおられる のだから、偶然は一つもない。たまたまという事も無い。世なら不 運かも知れないが、私たちに不運は無い。そして、主に無駄は無 い、 一つも無い。何らかの目的があり意図がある。「あなたがたのため に立てている計画を知っている」、ご計画であり、「すべてのこと はあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に 及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるため」。 一段階成長して行ける。試練はその時は喜ばしいものでなく、かえ って悲しいが、後に実を結ぶ。主の訓練を軽んじず、又、逆に弱り 果てず、受け止めて行けるよう祈ろう。単に幸せだけでなく、ご自 分の聖さにあずからせて下さるのだから。 ------------ 受け入れがたい問題が起こると、なぜ、どうしてと納得できる理由 を捜そうとするが、わが子よ、とこれは御父からのものだと呼びか けておられる。背後の主を信じ、受け止めていこう。