2020年09月17日(木)

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」ヘブル11:3




こんな例えがある。「事実(御言葉)」と「信仰」と「感覚」が順
番になり、山の上を歩いていた。「信仰」は目の前の「事実・御言
葉」だけを見ていると、どんどん問題なく前進できた。そこに後ろ
に続く「感覚」も順調について来た。ところが、「信仰」が前を行
く「御言葉」から目を離して、「感覚」を振り返った途端、「信仰」
と「感覚」はもろとも、谷底へ転落してしまった。

そして「事実」だけは一向に関係なく、前に進んで行った。信仰生
活の正しい順序は、「御言葉」「信仰」「感覚」だ。感情はあくま
でも、御言葉と信仰の後について来るものだ。しばしばこの順序を
逆にしてしまう。「感覚」を一番に持って来て、「信仰」最後が
「御言葉」だ。すると迷路に迷い込む。「感情」に振り回され
るばかりで、信仰生活が激しいアップダウンを繰り返す事になる。

私達はこの世界で生きているために、感覚である五感に深く拠り頼
んでいる。それは必要な事で、五感で危険を察知しなければ、命を
落とす事になる。しかし信仰は霊の分野で、通常の五感では感知で
きない領域だ。信仰を五感で、人間的領域でつかもうとすると、霊
的事柄が全くわからない。そうであれば、感じなければ信じないし、
信じようとしない。

そうでなく感じようと感じまいと、感情がどうであろうと、御言葉
を真実、事実として信じて行く時に、後ろから感情がついて来る。
感情を先に持って来て、振り回され、混乱していないだろうか。
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見て感じるものと御言葉にはいつも大きなギャップがある。不安定
な感覚から一度離れて、信仰を働かせよう。主に祈り、約束の御言
葉を握り、主にある豊かな一日を過ごそう。