2020年12月14日(月)

「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」マタイ11:17




私たちが相手を裁くのは、ほとんどは相手が自分の思い通りでない
からだと言われている。自分の思いと違うから、相手を裁き、非難
する。つまりは自己中心によるものだ。主は、当時の人々を、遊び
をしている子ども達に例えられた。子ども達は、一緒に遊ぼうと他
の子達に呼びかけた。まず「結婚式」の遊びをし、楽しげに笛を吹
いたが、誰も踊らず、相手にしなかった。それで次に「葬式」の遊
びをした。

これにも誰も乗ってこなかった。同様に当時の人々は、悔い改めの
バプテスマを授けているヨハネが、荒野でいなごと野蜜で生活して
いると「悪霊につかれている」と言った。そして、主が取税人や遊
女の友となり、罪人と宴会の席についていると、「食いしんぼうの
大酒飲み」だと言い「罪人の仲間」だと言った。結局、何をしても
批判し非難した。

つまりは、自分たちの正しさを誇っていた。相手を正しく見て、受
け入れようとの思いなど皆無だった。その時に主は、「知恵の正し
いことは、その行ないが証明します」と言われた。必ず主の正しさ
は、その行ないによって証明されて行くと。

そして「そのすべての子どもたちが証明します」と。クリスチャン
たちが証明して行くと。私たちが悔い改めて、御言葉を聞き、自分
の思いでなく、御言葉に従って行く時に、私たちを通して、主の正
しさが証明されて行く。
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一生懸命に自分の正しさを守ろうとしている人には、いくら説得し
ても伝わらない。主を信じ、自分の価値観から出て主の恵みに応答
していきたい。主の正しさを証明する者でありたい。