2021年03月18日(木) 「・・実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます」ヨハネ15:2
「・・実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます」ヨハネ15:2
木々を育てる人々は、せん定の重要さを知っている。刈り込みが豊 かな実を結ばせる。枝から茂った葉に余分な養分が流れるのを防ぐ ので、その養分が実に行き、立派な、豊かな実がなる。信仰生活も 同様だ。主は私たちを刈り込まれ、出っぱっている所を切り込まれ る。それはプライドや虚栄心や自己中心、貪欲、高ぶりかも知れな い。 はさみで切り込むので、必ず痛い。苦痛が伴う。プライドが強けれ ば、プライドが傷つく事態が起きる。自分の思い通りに歩んでいる と、思い通りにならない事態が起きて、行き詰まる。又、主、以外 のものに拠り頼んでいるなら、それを刈り込まれる。心に偶像があ るなら、切り込んで下さる。 日々に、様々な出来事が起きるが、その時に、自分は何に反応する のか、何に痛みを覚えるのか、自我にどう触れるのか、御霊に導か れて探ってみよう。そこに何かがある。プライドか、偶像か。主は、 私たちを切り込み、砕き、聖めて、御霊の実を結ばせて下さる。刈 り込みこそが、豊かな実を結ばせて行く。 主にとどまる私たちは、「わたしがあなたがたに話したことばによ って、もうきよい」、罪赦され、義と認められ、御前にきよい者と して歩ませて下さる。そして内住の御霊は、様々な出来事を通して、 御言葉を通して、刈り取りの砕きにより、ますます聖めて行って下 さる。そして、生活に喜びと平安が溢れ出て来る。 ---------- 愛と目的をもって主は刈り込みをされる。思い通りに伸び放題の枝 ならばっさりと落としていこう。最近、何に反応して痛みを感じた だろう。注目してみよう。