2021年04月17日(土) 「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が祝 福してくださったのである。こうしての人は富み、ますます栄えて、 非常に裕福になった」創世記26:12
「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が祝 福してくださったのである。こうしての人は富み、ますます栄えて、 非常に裕福になった」創世記26:12
イサクが飢饉に会った時、エジプトへ行こうと考えた。エジプトは 食料が豊富であったので、周りの人々は皆そのようにしていた。そ の飢饉は、皆が動くほどの重大な危機だった。しかし、主は、はっ きりとストップをかけられた。エジプトへは下るな、主の示す地に 住むようにと。この地に滞在するなら、大いに祝福し、この地を子 孫に与え、子孫は空の星のように増し加えられ、子孫によって地の すべての国々は祝福されると。 大いなる祝福の約束を下さった。イサクはエジプトへ行かず、主の 言葉に従った。イサクがその地に種を蒔くと、何とその年に百倍の 収穫を見た。非常に厳しい飢饉であった中で、やせた土壌で、百倍 の実を結ぶなど有り得ないし、考えられない。奇跡のわざだった。 それに遊牧民のイサクが、農耕をして百倍もの実を結んだのだ。主 の言葉に従った結果だった。 「主が彼を祝福して下さったのである」と。私たちも自分の思い、 見える所、常識では、こうした方が良いと思う事がある。しかし主 の言葉は正反対である場合がある。イサクがエジプトに下らず、と どまったように。そこには主の大きな祝福が備えられている。自分 の思い、判断でなく、主の御声を聞いて従おう。その時、「主が彼 を祝福してくださったのである」を経験して行く。 ・・・・・・・・・・・ 「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えな い」箴言10:22 飢饉の最中に種を蒔いて、豊作など不可能だ。す べての事は、主による。自分で何とかしようとせず、まず主の示し に従おう。その時、豊かに祝福され、すべての必要が備えられる。