2021年09月17日(金) 「そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる」マルコ12:42
「そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる」マルコ12:42
献金箱に向かって、座られた主は、人々が献金を投げ入れる様子を じっと見ておられた。金持ちたちが、次々と大金を投げ入れ、それ はじゃらじゃらと大きな音で、大金だとわかった。そこに貧しいや もめが来て、レプタ二つを入れた。レプタは当時の貨幣の最小単位 で、1デナリの128分の1だ。200円位だろうか。僅かなお金だ。 しかし主は、わざわざ弟子たちを呼び寄せて、言われた。この女性 が、どの金持ちよりも沢山献げたのだと。皆は生活が十分できて、 尚も余る中から献げたが、彼女は、今、持っている全部を献げたか らと。主は、献金額の多い少ないを見ておられない。金持ちは、多 く献げたからといって、困る事は全く無かった。 彼女はレプタを二つ持っていた。その内の一つを主に献げて、一つ は自分のために使っても良かった。しかし彼女は、主への感謝が溢 れ出て、何もかも全部を献げる行為となった。献金とは献身だ。そ れは自分自身を主に献げる事であり、彼女は、自分の生涯、自分の 持てる物、自分自身を主に差し出した。主は、明日の必要も満たし て下さる事を信じていた。主に頼りきった彼女の信仰だった。 主は、彼女のその信仰を見られ、喜ばれ、受け取られた。主は、人 が見るようには見ておられない。人は外側しか見えないが、主が見 ておられるところは異なり、動機を、信仰を、見て下さっている。 主に、お献げしたものを、主は喜ばれ、受け取って下さっている。 何と嬉しい事だろう。主に喜ばれる、献げものを、献げて行けるよ う祈ろう。 -------------- あちこちに保険をかけて、それでも不安で主に頼ろうとしているの ではないだろうか。全て献げても主が守ってくださるとの委ねきっ た姿勢を学ばされる。主に献げよう。