2021年10月16日(土)

「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに 刈り取ります」Uコリント9:5


神の価値観は、この世の価値観と全く違う。例えば、経済的に苦し
くなった時はどうだろう。世の価値観では、当然収入を増やし、支
出を抑える。財布のひもを締める。しかし主は正反対だ。そんな時
には「与えよ」と。そうすれば与えられると。

ある宣教師が、ある時母国のサポートが少なかった。家賃や高熱費
等、通常の支払いをすると手元に残らない。とにかく必要が与えら
れるよう祈りに祈って、可能な限りの節約をした。そんな時、予定
していた支出分が浮いて、これは主の答えと感謝し喜んだ。ところ
がその分が、想定外の病院通いで、すべて無くなった。

どうした事か。与えて下さったのでは無かったのか。これは一体ど
ういう事かと、主の御前に御心を尋ね、祈った。すると、主は更に
献げよとの、御心を示された。「与えよ。そうすれば自分も与えら
れる」と。しかしもう手元には僅かしか無い。生活も難しいほどだ。
しかしどれだけ祈っても、主は献げよと言われる。そこで決心した。

主の御心に従おうと。主の示し通りに、持てるものを献げた。信仰
によって献げ、あとは主に身を委ねた。すると不思議が起きた。メ
ッセージに招かれた特別な集いで、自分たちへの愛の献金が献げら
れた。何と支払い含め、生活の必要のすべてがことごとく満たされ
た。

「神は、あなたがたを、常にすべての事に満ち足りて、すべての良
いわざに溢れる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに与
える事のできる方」を知らされた。

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経済的な事は、御言葉とこの世の価値観がもろに相反する。貯える
と増え、出すと減るのが常識だ。だが御言葉は献げると増え、取り
込むと失うと。ばらまいて富む人があり、正当な支払いを惜しんで、
乏しくなる者があると。この事で喜びを経験して行けますように