2022年02月15日(火)

「主よ。私を探り、私の心を知ってください・・私のうちに傷のつ いた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてくださ い」詩篇139:23



ある人が証しした。小さい頃から両親共に忙しく働き、自分は長女
なので、下の妹や弟たちの面倒をずっと見て来た。親代わりに世話
をし、家の手伝いもした。親は非常に疲れて帰宅し、甘えたくても
甘えられず、自分の気持ちを抑え込んだ。

我慢に我慢を重ね、良い子でずっと生きて来た。自分の思いはあっ
たのだが、絶えず抑え込むので、段々わからなくなって行った。自
分の本当の気持ちがわからない。信仰を持ってからも良い子クリス
チャンだった。自分では全く気づかなかったが、主の前でさえ良い
子でいようとする。

しかしそれは本当の自分では無いので、主との間にずっと距離があ
った。神の愛がよくわからず、頭の知識でしかなかった。実感は無
かった。本当の気持ちなど、出せないというより、わからなくなっ
ていた。ところが試練に次ぐ試練で、苦しくてたまらず、せっぱ詰
まり、許容量オーバーとなった。

主に、ついに底の本心をぶつけた。それは怒りだった。これまで懸
命に従って来たのに、頑張って来たのに、この散々な、惨めな状況
に怒りが爆発した。しかし本心を吐き出し、主にぶつけた時に、初
めて主と交われが生じた。主から答えが来た。驚きだった。主に
触れた実感が臨んだ。

自分自身の何もかもをご存じである主との生きた交わりを経験し
た。
主に何でも心の内を言ってよい事がわかった。心に初めて安堵と喜
びが来た。取り繕う余裕を取り去るための試練だとわかり、主のご
愛に更に感謝が溢れた。
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自分の中の隠れた本音を主は気づけるように取り扱ってくださる。
そこを示されると、心底へりくだらされるが、主によって新しくさ
れた喜びがじわじわと溢れてくる。続けて祈っていきたい。