2023年07月18日(火)

「しかしペテロは、『あなたの言うことは私にはわかりません。』 と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が 鳴いた」ルカ22:60



ペテロは、主が捕らえられ、これから十字架に向かわれる時に、主
を三度も否定してしまった。何があってもついて行くと豪語したの
に、主を裏切ってしまったのだ。しかし実は、サタンがふるいにか
ける事を、主が許されたゆえの事だった。そして、主はペテロの信
仰がなくならないように、祈っておられた。

苦しい試練のペテロの背後に、主の祈りがあった。ペテロは以前に、
他の者たちが皆、主を捨てても、自分は大丈夫と言い切った。どこ
までも主について行くと。主はその心に潜むペテロの弱さをご存じ
であった。しかしペテロは知らずに、自信に溢れていた。だが、そ
の自信は粉々に砕け散った。

「信仰がなくならないように」主は祈られたが、信仰が無くならな
いとは、罪を犯し失敗するが、悔い改めに導かれるという事だ。ペ
テロは悔い改めて赦された。私たちも必ず失敗する。失敗しない人
は一人もいない。しかし、常に主は私たちのために執り成して下さ
っている。だからこそ罪を認めて、悔い改める事ができる。そして
その罪は完全に赦される。

ペテロは砕かれ練られ、主の器として整えられて行った。私たちも
今、試練の中にあるなら、砕き、練られ、整えられるためだ。私た
ちは、もうだめだと思うが、失敗は赦して下さり、尚も益とされる。
そして自分の力が砕かれ、自分でなく、主に、拠りすがる者と造り
変えられて行く。

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ペテロが主を裏切ってしまうという、人生最大の危機に、主は御言
葉を与えて下さっていた。主のお言葉を思い出し、ペテロは号泣し
た。そして主は、祈っていて下さった。失敗しないようにではなく、
信仰が守られるようにと。主の祈りと主の言葉が、試練と共にある。