2024年04月17日(水) 「もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『・・私 たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます』と言 った。」使徒27:10
「もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『・・私 たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます』と言 った。」使徒27:10
パウロが証しのためにローマへ導かれるが、思いとは違い、囚人と してローマへ向かう事になる。護送の途中、船はクレテの良い港に 着いた。人々は越冬に、ここより良いピニクスまで進もうとの意見 だった。だがパウロはこの航海は危険で、命にまで危害が及ぶと強 く反対した。しかし人々はパウロの言葉を信じず、百人隊長も、パ ウロより航海士や船長の方を信用し、出帆した。 すると案の定、大暴風に会った。私たちもどうだろう。常に二つの 声が聞こえ、二つの思いが湧き上がる。一つは御言葉による御霊の 声であり、もう一つは自分の思い、知識、経験による肉の声で背後 にサタンだ。世の価値観に基づき、判断する声だ。結局、どちらを 選択するかにかかる。彼らはなすすべなく積荷、船具も捨て、もう 最後の望みも消えようとしていた。 その時に初めて、人々はパウロの言葉に思いが至った。パウロは 「全て私に告げられた通りになると、私は神により信じている」と 皆を励まし、結果的に皆その通りに助かった。事態が生じた時、 「御言葉」と「自分の思い・常識・経験値・人の言葉・世の価値 観」が、しばしば相反する。 又、とっさに起きた時に、主を忘れていたら、御言葉以外のものに 流され、反対方向に向かってしまう。感謝な事に、御霊が気づかせ て下さる。何かが起きた時、とっさに肉は、どうしよう、何とかし なければと思ってしまうが、まず主を仰ぐこと、祈ることをしよ う。信仰は練習だ。繰り返しの中で身について行く。 -------------- 早く行ってしまいたい、安心したいと自分の思いを主の前に立たせ てしまう。よくやってしまう失敗だ。自分の考えを主に委ねられる ように祈りたい。主の御心こそを求めて祈ろう。