2024年08月17日(土)

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、 進もうではありませんか」ガラテヤ5:25



主の証しの素晴らしさを見せられた。未信者の婦人が、平日の
学び会に初めて来会。夫が米国人で、結婚後米国に居住。異国
の地で言葉もわからず、文化、習慣も違った。大きな戸惑いの中、
義父母がクリスチャンで、何もわからない自分に大変親切にし、
愛情を注いでくれた。

今回、久しぶりに母子で、日本に里帰りの中、突然、義父急死
の連絡。もう大変なショックで、すぐ戻ると言うと、夫が、もう葬儀
は間に合わないから、日本で両親と過ごすようにと。涙が止まら
ず、葬儀の時間に、義父が最も愛した教会に、自分もいたいと
切望した。まだネットも無く、平日に集会がある教会もわからず、
どうしても教会に行きたく、米国の日本人友人のつてをたどり、
ここを教えてもらったと。

「義父は、もうそれは言葉に尽くせないほど、愛してくれたんで
す。良くしてくれて」と涙。「私も同じ神を信じたいです。アメリカに
帰ったら、教会に行きます。」と帰られた。「ことばや口先で愛す
ることをせず行ないと真実をもって愛そうではありませんか」。義父
の愛が大きな証しとなり、彼女は主を求めるよう導かれた。

神を愛する事、隣人を愛する事は自分の力では、到底不可能だ。
肉はどこまでも自己中心であり、「肉の願うことは、御霊に逆らい、
御霊は肉に逆らう」。この二つは対立していて、自分のしたいと
思うことができない。御霊によって歩む事により可能だと。まず祈
りから始める事ができる。主は一歩一歩手を取って、わかるよう
に導き、なすべき事も教えて下さる。

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御霊に導かれた人々によって、心に渇きが起こされて、救いや
成長に導かれる。自分には無いものがわかり、心惹かれるから
だ。御霊に導かれることを祈り、求めて、歩んで行きたい。