2024年10月18日(金)

「というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じること は、神のみこころだからです」Tペテロ2:15



「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」と言われている
ように、私たちは、異邦人の中で生きている。そして周囲は、私た
ちの生き方を見ていないようで、しっかりと見て、観察している。
その中で、立派に振る舞えと言われる。信仰は、常識を超える事は
あるが、決して非常識ではない。愛は礼儀に反する事をしない。信
仰者としてマナーを守って行く。

人々は聖書は読まないが、クリスチャンの生き方は観察している。
その生き様を通して、聖書を知る。信仰者は「歩く聖書」だ。「御
霊の実は、愛、喜び、平安・・」、世の人々が求め、欲しいものが、
「愛、喜び、平安」だ。人が求めるものは愛であり、誰しも愛し、
愛されて生きたい。それが得られないので、他のもので心を満たそ
うとする。又、世には、外部からの刺激による喜びしか無い。

何かラッキーな事、嬉しい事があるから喜べる。しかし、私たちの
喜びは、外部のものに依存していない。外側に何も無くても、内側
から湧き上がる御霊の喜びだ。又、恐れと不安の、不安定な世の中
にいる人々にとって、平安は何と魅力的なものだろう。誰しもが欲
しいものだ。主にゆだねて、主を第一として生きる時、心は、この
世のものではない、主の平安に満たされる。それらは内側から溢れ
出て来る。

御霊の愛、喜び、平安がある時、私たちに様々な弱さがあっても、
何かが違うと人々は思う。私たちの振る舞いを見て、人々が、神を
誉め称えるようになると。この世では、辛い事も多々あるが、祈り
つつ主に従って行こう。御霊は助けて下さる。そして主が豊かに報
いて下さる。
---------------
信仰のことで嫌な思いをすることも、また気落ちすることもあるが、
様々な弱さを主に預けて祈ることが出来る。この世の闇から光の中に
招いてくださった主に感謝し、この感謝を証したい。