2025年01月18日(土) 「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげま した。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子 をささげたのです」へブル11:17
「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげま した。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子 をささげたのです」へブル11:17
アブラハムは、主が与えられた約束を25年間待って、我が子イ サクを与えられた。アブラハムが100歳、サラ90歳であった。気 が遠くなるような長い忍耐の末だった。だが、彼らもスーパーマ ンでなく、私たちと同じ弱い人間であり、数々の失敗があった。 主の時を待てずに、肉によって、イシマエルを産み出してしまった。 しかしヘブル11章によると、彼は信仰の人として賞賛を受けて いる。その後、その最愛の子イサクをモリヤの山の上で、全焼 のいけにえとして献げよと、厳しい大きな試練が臨んだ。だが彼 は「翌朝早く」イサクと二人の若者共に出発した。決心ができて いた。従順に従った。3日目に若者たちにその場で待つようにと 告げた。 「私と子どもとは、礼拝をして、戻って来る」と。二人で戻って来 ると告げた。その途上でイサクが「いけにえの羊はどこに」と問 うた時、彼は「神が備えて下さる」と答えた。彼はこの事におい て神を全く信頼した。神には人を死者の中から、よみがえらせ る事もできると。しかし山の上のその場には、いけには無く、イ サクをいけにえとし、刀を振り下ろす、その瞬間だった。 主が、止められた。するとそこに羊が備えられていた。これは彼 も知らなかった事だ。私たちも一歩先は見えず、明日の事もわか らない。しかし、主は知っておられる。一歩を踏み出す時、そこに 必ず備えがある。一歩一歩、この主に信頼し委ねて歩む時、一生 涯の間、「主の山の上に備え」を経験して行く。 ・・・・・・・・・・・・・・ 主は「試み」を与えられる。しかし結果的に、代わりの羊を備え て下さっていた。主は試練と共に、脱出の道を備えて下さる。彼 は、試練の中で祈りに祈り、主と交わった。それにより信仰もっ て臨めた。主にことごとく告げて交わろう。