2025年03月18日(火)

「・・自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐ忘れる聞き手 にはならないで、事を実行する人になります」ヤコブ1:25


賢い人と愚かな人の話が出て来る。各々が家を建て、賢い人は岩の
上に、愚かな人は砂の上に建てた。大嵐が来た時に、賢い人の家は
立ち行き、愚かな人の家は倒壊した。賢い人は御言葉を聞き、愚か
な人は聞かなかったのでない。それならわかりやすいが、賢い人も
愚かな人も、どちらも御言葉を聞いている。

その違いは、賢い人は聞いた御言葉を実行し、愚かな人は実行しな
かった。聞くだけで、実行しないなら、試練の時に、家は倒壊して
しまった。「みことばを聞いても行なわないなら・・自分の顔を鏡で
見て・・立ち去ると、どのようであったかを忘れる」。御言葉を忘れ
てしまうなら、つまり聞かなかった事になる。「自分を欺いて、た
だ聞くだけの者であってはいけない」。

御言葉を聞くだけで、行なわないなら自分を欺いていると。とにか
く多くの御言葉を聞けば、成長するのでなく、幾ら聖書を学んでも、
それを実行しない限り、成長は望めない。そして聖書知識は幾らで
も増えるので「知識は人を高ぶらせ」の通り、人に御言葉の物差し
を向け、人を裁くために使ってしまう。

どうすれば良いのだろう。「律法を一心に見つめて離れない人は、
事を実行する」とあり、御言葉を一心に見つめ続ける時、実行して
行けると。そしてその行ないにより祝福されると。今、目の前に実
行するように示されている事柄があるだろうか。祈って、実行する
ことを始めてみよう。
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御言葉を聞いただけで、頭で理解して終わりではないのか、今一度
吟味したい。出来るか、出来ないかより、出来ますように、そうさ
せてくださいと祈りたい。成長していきたい。