2025年04月17日(木) 「ペテロは彼を見て、イエスに言った。『主よ。この人はどうです か・・』イエスはペテロに言われた『・・あなたは、わたしに従いなさ い』」ヨハネ21:21
「ペテロは彼を見て、イエスに言った。『主よ。この人はどうです か・・』イエスはペテロに言われた『・・あなたは、わたしに従いなさ い』」ヨハネ21:21
人は心の底では、自分に無いもの、持たないものを、欲していると 言われる。「自分も、誰々のようであれば〜」と、違う境遇、成育 歴や才能、性格を求めていると。しかし、それなら、今の自分を否 定することになってしまう。いつも言われるように、スミレがバラ になりたい、足の裏が目や口になりたい・・と。 しかしスミレとバラは、好みの違いで、優劣は無い。足の裏と目も 優劣は無い。役割が違うことで、どちらも必要で、無くてはならな い。一流レストランは、その良さがあり、一般食堂はおふくろの味 の良さがある。比較が無意味だ、頭ではよく理解できるのだが、心 でしっかり受け止めているだろうか。誰かと比較し、羨んでいるな ら、まずそれを認めよう。 無いことにせず、ごまかさずに、自分の妬みをきちんと認めよう。 そこから、新しい歩みが始まる。自分が、羨む誰かのようになるの でなく、主が慈しんで創造して下さった、唯一無二の自分自身を生 きて行けるように、祈り求めよう。かけがえがないとは、代わりが ないという事だ。人を羨み、人のようになるという意味では、自分 を変える必要はない。 しかし主のかたちへと、近づく意味では、決して今のままでなく、 造り変えられなければならない。人との差異で自分を量るのでなく、 御言葉を鏡として、自分を量る時に、自らの本当の姿を見せられ、 取り扱われ、主のかたちへと、成長させて行って下さる。そしてい つでも心に平安があり、喜びを持って生きて行ける。 --------------- 苦い妬みが湧き上がる時は、ひがんだり自己憐憫におちいる。主に 感謝をもって祈り、御言葉を開こう。平安が帰ってくる。主は誰の ためにも十字架にかかられた。何というご愛だろう。