2003年10月16日(木) 「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)
こんな例えがある。小さな子供がビンに 手を突っ込んで、菓子をしっかり握っている。 そして狭いビンの口から手が出ないと大泣き している。握っている物を放せば、手が抜け と言っても決して手放さない。しかし、手の 中の物を放した時、ビンから手が抜けた。霊 的にも同じだ。あなたが放せないで握り締め ている宝は何か。富、自分の計画、プライド、 この世での成功、名誉、地位、愛する人・・。 太陽の前に十円玉を置くと、小さな十円玉が あの大きな太陽を見えなくしてしまう。隠し てしまう。あなたは十円玉で神が見えなくな っていないか。自分の内にある、握り締めて いる宝、偶像は何か。それを手放す時真に神 を見る。