2003年11月17日(月)

「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であた・・この人のほうが、前の人よりも、義と認められ、家に帰って行きました」(ルカ18:10)


良い行いとは、行いそれ自体が良いという
意味ではなく、動機が正しいと良い行いに
なる。祈ること自体は良いことだ。
しかし、もし人に見せるために祈るなら、
人から賞賛を得るために祈るなら、その祈
りは間違っている。ある時、二人の男が祈
るために宮に来た。一人はパリサイ人で、
一人は取税人だった。二人とも祈ったが、
一人は義とされて帰り、一人は罪のまま帰
った。正しい行いは、正しい動機でなされ
る時だけ正しいのだ。それ自体は良くも悪
くもない行いが沢山ある。愛を持って成さ
れれば正しいし、自己中心な動機で成され
れば間違っている。その行い自体ではなく、
動機によって良くも悪くもなる。
私達の動機はどうだろう。