2004年03月18日(木) 「私は黙っていたときには、一日中、うめいていて、私の骨々は疲れ果てました。それは御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひかりでかわききったからです」(詩篇32:3)
「私は黙っていたときには、一日中、うめいていて、私の骨々は疲れ果てました。それは御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひかりでかわききったからです」(詩篇32:3)
ダビデは人妻であるバテシバとの姦淫の罪を犯し、その夫ウリヤを計略の末巧く殺害した。恐ろしい二重の罪を犯してしまった。預言者ナタンに面と向かって断罪されるまで表向きは普通にしていたようだ。しかし、その罪を隠して生きる事は、大変な苦しみであった。御手が、神が、罪である事を心の奥に示し、教え、圧迫しておられた。罪を黙ったまま持ち続けているのは苦悶の日々だ。経験があるだろうか。すぐそばに救いがある。神に罪を告白する事だ。ダビデは自らの罪を認め、告白した途端、すぐ神は赦しの手を述べて下さった。赦しがすでに備えられている。認罪を妨げるのは自我かプライドか。罪赦される喜びがそこにある。 ------------------ ダビデのような大きな罪でなくとも、御霊様から示されている罪はないだろうか。そのままにして神様との交わりはできない。抵抗せず神様のもとへ行き告白しよう。