2004年04月16日(金)

「かえって人目にかくれたユダヤ人がユダヤ人であり・・その誉は人からでなく神から来る」(ローマ2:28)

「かえって人目にかくれたユダヤ人がユダヤ人であり・・その誉は人からでなく神から来る」(ローマ2:28)


 私達には誰しも肉の欲望がある。人に見られたい人に評価されたい、認められたい、人の賞賛が欲しい、自分をよくアピールしたい、よく思われたい・・。これらの肉は様々な形をとって現われる。肉の欲望は、それが満たされると、ますます増長して行く。高慢になり虚栄心は膨らんで行く。しかし、隠れて事を行う事は、深いそのような肉欲が断たれることになる。隠れて行うことはよいことだ。肉欲に機会を与えない。人前でなく、神の御前に生きるようにさせる。隠れた奉仕をさよ。一つ一つを神は見ておられる。隠れて祈れ。隠れた祈りに神は報いて下さる。隠れた祈りの答えは何という喜び。
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隠れているものを神様は見られる。隠れた心、陰れた行い。人前ではなく隠れたところで真摯に神様とつながり、みこころに歩めますように。