2004年06月17日(木)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)


 ある敬虔なクリスチャンに、未信者の友人が聞いた。「神が愛であるなら、どうして苦しみがあるのか、、神が全能なら、なぜこの世は不正だらけなのか」「なぜ、あなたの子供は病気で亡くなったのか。神が助ける事はできなかったのか」そのクリスチャンは、友に答えた。「子供を亡くした事は大きな悲しみだが、神のせいではない」そして、その子と天国で再び会える特権と恵み、そして、子供の死が家族を一つにしてくれ、互いに思いやり合え、愛し合えている事を話した。神は無駄なものは何一つ与えられない。意味の無いものも無い。神は起こる事柄の一つ一つに計画と目的をお持ちだ。耐えられない試練も無い
----------------------------
苦しみは、苦しみだけで終わらない。それを通してでなければ学べない事を神様が用意しててくださっている。すべてが自分の思い通りに行っていたなら、神様を求め祈ることも、祈られることも、試練の中での神様のご愛も、何も知り得ることが無かった。