2004年11月16日(火)

「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです」(ヤコブ2:13)


信仰生活とは自分の力で頑張る事ではない。歯を食いしばって眉間にしわを寄せて努力する事ではない。そうではなく、主がして下さるので、主に拠り頼んで、ただ主を信頼する事だ。そこには重荷を下ろした休みと安らぎがある。自分の力で歩んでいると、すべての重荷が自分の肩にかかり信仰生活が辛くしんどい。あれもこれも我慢に我慢を重ねている。放蕩息子の兄状態だ。そうすると、自分が辛くて我慢しているので周囲の努力していない人をさばく。必ずさばく。腹が立つのだ。私達はどうだろう。さばきは恐るべき高慢だ。砕かれていないところから起こる。しかし、主に頼って歩んでいるなら心に休みと喜びがあり、人をさばく事もない。さばかない人はさばかれない。
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自分で立たせた信仰は、必ず無理が生じゆがんで行く。自分から発した結果に一喜一憂して、傲慢と裁きをまきちらすより、主に委ねて、主に頼って、のびやかな信仰生活を送って行きたい。