2005年09月16日(金)

『イエスは彼に言われた「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』(ヨハネ20:29)





トマスはその手に釘の跡を見、指を差し入れな
ければ決して信じないと言った。私達はどうだ
ろう。この事の道が開かれたら、願いが叶えら
れたら、この問題がちゃんと解決したなら、信
じようとの態度ではないか。見ないと信じない
トマスと同じかも知れない。〜になれば信じる、
〜が与えられたなら信じる、これは見ずにでは
無く、見て信じる信仰だ。まだ見ぬものを信じ
るのが信仰であって、もはや信仰ではない。主
は釘跡を示し、トマスの不信仰を助け、信仰へ
と導いて下さった。信じられないのではなく、
信じようとしない心の頑なさが問題だ。みずか
らの頑なな心、不信仰をそのまま主のもとに告
げよう。主はトマスのように助けて下さる。
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この目で見て、この耳で直接御声を聞けたなら..
と思うが、頑なな心がある限り従う事は無理だ。
信仰の目、耳が必要だ。見えなくても今日も主
は見ていてくださる。