2006年02月15日(水) 「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」(ルカ16:21)
「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」(ルカ16:21)
兄は距離的には、父のすぐ近くにいたが、 弟息子と同様に、心は父から遠く離れて いた。心が父に無い、弟と全く同じく放蕩 息子だ。好き放題、放蕩の末に戻った弟、 そのために宴会とは許せない、受け入れ られない。自分は真面目に仕え、子山羊 一匹もらった事がないのに、子牛を与え るとは、不満を爆発させた。兄息子が間 違っていたのは、父との関係だ。それは 労使関係であり、主人と雇い人だ。労働 を提供して、給料をもらう。それは報酬だ。 恵みとは、いっさい労働なしで、給料がも らえる事だ。父との関係は労使でなく、親 子関係だ。労使なら働かないならクビで 当然、即、解雇だ。働かない者など必要 ない。しかし、親子なら労働しようとすま いと、その親子関係は変わらない。報酬 ではなく、恵みの世界だ。労働に関係なく、 愛は全く変わらない。愛されているのだ。 私のものは全部お前のもの。父はその 愛を知って欲しかったのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・ 培われた根深い古い価値観が問題だ。すぐ兄 になってしまう。肉は自分の力で頑張ろうと する。その途端父から離れる。喜び平安感謝 が消える。メチャメチャな者を、出来ない者 を今愛して下さっている愛が嬉しい。安堵だ。 愛を受け取り、喜んで楽しもう。