2006年03月18日(土)

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」ヘブル11:1

神は奇跡をされるが、目に見えない「信仰」
を求められる。役人が息子を癒してほし
いと、主のもとへ来た時、奇跡を見ない
と信じないと言われた。しかし、息子が
死にかけていた彼は、引き下がらず、尚
も頼み続けた。主は信仰を求められ、も
う息子は直っているから帰るように言わ
れた。彼は主の言葉を信じた。なぜなら、
帰って行った事がその証拠だ。その途上
で、息子がすでに直ったことを知った。
主の言葉と同時刻であった。つまり、御
言葉を信じること、それが信仰だ。目に
見えないものを信じることだ。目に見え
たなら、それはもう信仰ではない。見え
るものに信仰は必要ない。見えないもの
を信じるからこそ信仰だ。今、あなたには、
信仰が求められているか。何一つ見えな
い中で、状況は何も動かず、正反対に見
える中で、主の約束を握って信じよう。
大きな報いをもたらす。
・・・・・・・・・・・
信仰とは神の約束を信じる事だ。状況は、
正反対で全く異なる中で、状況ではなく、
約束を信じて行く。その時、状況は変わ
らないのに不思議にすでに得たりの確信
が来る。目に見えない「現実」の世界だ。