2006年05月17日(水)

「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます」ヨハネ15:5

私達は、奉仕に走り回る事や伝道
に懸命に励む事、又、仕事や何か
する事によって、心満たされようとして
いないか。しかし、私達は、正しい行
いで心が満たされるようには造られて
いない。そうではなく、主にとどまる事
によって心満たされる。これは重要だ。
世は、当然自らの能力をフルに発揮
する事にやっきになる。しかし、私達
は、自分の力で人生をやり繰りする
事を、全面放棄した時に初めて、
神の与えて下さるいのちを体験でき
るのだ。自分の力が強ければ神に決
して頼らない。それが神から離れて
いる事だ。能力が不要なのでなく、
神の前に明け渡す時、神はその能力
をきよめて用いて下さる。モーセは
杖を一旦地に投げたが、蛇に変わっ
たその尾をつかむと、再び杖に戻っ
た。あなたの能力は要らないと言っ
ておられるのでなく、一旦放棄=
明け渡す事が必要だ。その時に、そ
れをきよめて神のために用いて下さる。
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枝がぶどうの木につながっているだけ
で、養分が豊かに流れて来て、自然
に実を結ぶ。何一つ頑張っていない。
今日も愛され、赦され、受け入れられ、
恵みが満ち満ちている。