2001年06月18日(月)

  「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい」(マタイ26:38)


 主イエスが、十字架にかかられるのが目前となった
時、ゲッセマネの園で祈られた。その時、イエスはペ
テロとヤコブとヨハネがご自身を支えてくれることを
望まれた。十字架上で罪を負う者として、御父の御怒
りを受けられ、御父に見捨てられるはずだった。
彼はこの恐ろしい杯を取り去ってくださいと祈られた。
その恐るべき暗闇の時、愛する弟子達は目を覚まし共に
祈り同情していてくれるものと思われた。
しかし、弟子達は眠ってしまっていた。主はなんと落胆
された事だろう。
一番苦しい時に、弟子達の寝ている姿は主の孤独をいっ
そう痛ましいものにしただろう。イエスでさえ危機の時
に、弟子達の助けを求められたとしたら、クリスチャン
は尚さら苦しみの時、共に祈ってくれるよう、兄弟姉妹
に頼もうではないか。そして自分自身が苦しんでいる人
を祈りで支える機会が無いか目を覚まして見張っていよう