2006年11月15日(水)

律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ4:4   


  

聖書を読むと責められて、辛くな
り落ち込む事があるだろうか。完
全でなければ失格と思ってしまう。
しかし、それは律法主義だ。律法
は私達を責めて追い立て、十分と
いう事が決して無い。「今のまま
ではダメ、もっと〜」「あれもこれ
もしなければ」「休むな」「もっと
頑張れ」「する事は山積だ。早く、
早く」心は焦り、荷は山となし、常
に自分は足らない。安堵感がなく満
ち足りる事がない。これは律法主義
に陥っている。自分が立ち上がっ
て背負うので、自分の肩にすべて
の荷がかかる。何かする事によって、
神に受け入れられ、認められようと
している。それはキリストから離れ
ていると言われる。律法の中にいる。
恵みはこうだ。「私」はすべての義
務から解き放たれている。内に住ま
れている「主」が一つ一つ成し遂げ
て下さる。私はその主を信頼し、安
堵し、喜びつつその主と共に一つ一
つあずかって行く。一つ為すごとに
共なる主を知れ、更に喜びを味わう。   
・・・・・・・・・・
恵みの中は安心感と安堵感、喜びと潤い
暖かさだ。主と一つだ。身体は疲れても
心は疲れ無い。だから快適な疲れだ。焦り
、いら立ち、苦々しい心は恵みから落ち
ている。自分が、自分が、になっている。
全き憩いに返ろう。まず安堵がある。