2007年05月18日(金)

「イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分の天幕に逃げた・・エリの二人の息子・・死んだ」Tサムエル4:10



偶像礼拝とは、神を自分の願
望のために利用しようとする
事だ。自らを砕いて、御前に
ひれ伏すのではなく、自分の
幸福や、願望のために、どこ
までも自分のために、神を持
ってこようとする態度だ。だ
から、自分は何一つ変えられ
る事はなく、矯正される事も
なく、ただ自分の欲望を遂げ
るための手段となる。神を自
分の都合のために、引きずり
回し、利用する。ペリシテと
の戦いで敗北した時、民は主
の契約の箱をかつぎ出して来
た。箱をかつぎ出してさえく
れば、勝てると思った。しか
し、箱を持って来れば、神を
かつぎ出せるのではない。そ
もそも、自分達の都合のため
に、神をかつぎ出そうなどと
いう不遜な考えが根本的間違
いであった。イスラエルは打
ち負かされ、箱まで奪い去ら
れた。神は箱を奪われるがま
まにされた。守られなかった
のでなく、神が敗北させられ
たのだ。裁きであった。主の
箱の中を見た、ベテ・シェメ
シュの人々を激しく打たれた。
神を畏れ、敬い、崇め、御前
にひれ伏すのでなく、好奇と
興味でのぞいたのだ。自分の
欲望充足のために、神をかつ
ぎ出し、自分に仕えさせる、
恐ろしい態度だ。そうでなく
、神を神として伏して崇め、
自らが仕え 行く、これが方
向変換であり、悔い改めだ。
神の喜ばれる態度だ。祝福し
て下さる。
-----------------------
神を神として崇め従って行く
のではなく、信じたいものを
信じて行っていないか。都合
が悪ければ神様に代わるもの
はいくらでも持っていないか。
私達は神様に変えられている
だろうか。