2007年06月17日(日)

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25

苦難での私達の願いとは何だろう。「状
況が変わるように」ではないだろうか。苦
難が早く過ぎ去るようにと。しかし、信仰
というもの自体が、状況が変わらない中で
の生き方だ。状況さえ変われば何とかなる
との考え方は、事が済むとそれで終りなの
で、いつも繰り返し同じ問題で葛藤する事
になる。いつまでたっても学べない。そう
でなく、その状況の中で「どう生きる事が
主の御心なのか」であり、信仰とはそうい
う事だ。そこに焦点を合わせて行く時、自
分が変えられて行く。状況でなく自分が変
えられる。それが成長だ。パウロとシラス
は神の御心に従って苦難に会った。何度も
むち打たれて、冷たい暗い牢に入れられた。
足かせをかけられ、むち打たれた背は、ど
んなに激痛だったろう。思考が否定的方向
へ向かえば、幾らでも悲観的になり、自己
憐憫に不平不満、愚痴、怒りに陥った事だ
ろう。しかし、そちらを選択しなかった。
彼らは、主を選び、賛美と感謝を選んだ。
主を選択したのだ。これらすべての事に神
を認め、神のご計画を認め、最善をしてお
られる神を信じたのだ。その結果、他の囚
人達は、彼らにただ者ではないものを感じ、
関心を向け聞き入った。これが証しとなっ
た。状況の中で、どう生きるかを求めよう。
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不都合な状況の中で、感謝する事は「選択」
だ。信仰だ。肉には出来ない。感謝する事は
神を認める事であり、権威と主権を認める事
だ。今の状況で感謝を選択すると、神が見え、
祝福が見えて来る。