2001年07月18日(水)

「はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(使途17:11)

疑い深い人が周囲にいるかも知れ
ない。又、あなたかも知れない。そ
れらの人達は、物事をまず疑ってか
かる。しかし、真理を知ろうとしての
疑いなら、その疑いは真理を見い出
すかも知れない。パウロがベレヤに
来た時、そこのユダヤ人はテサロニケ
のユダヤ人達よりも良い人達だと気
づいた。非常に熱心に御言葉を聞き、
その通りかどうか毎日聖書を調べた。
彼らは旧約聖書を信じていた。パウ
ロの宣教に真剣に耳を傾け、それが
聖書に基づいている事がわかった時、
キリストを信じるようになった。疑
い自体が悪いとは限らない。それによ
って、真理に導かれる事もあるからだ。
健全な疑いを持つ人は、狂信や盲信
から守られ、福音を正しく聞く事がで
きる。聖書が真実で権威のある書か
どうか、又、その根拠を考えるように
なる。又、クリスチャンの主張を検証
するようになる。希望には十分な根拠
がある事を見い出すようになる。